2017年6月2日金曜日

俺たちの自慢の銀鮭、食ってけろ。食わねば判るめ。食えば判るべ。


脂肪を抑え、鮭本来の豊かなうま味と鮮やかな色味が持ち味の三陸銀鮭。

その秘密は、長年にわたる研究と実践、提携漁師との意見交流で築き上げてきた、ニチモウ・オリジナルの飼料にありました。

そもそも、宮城三陸での銀鮭養殖の歴史は、1970年代から始まりました。

当初手探り状態だった銀鮭養殖は、早く大きい鮭を作ろうと競うように餌を与えた結果、「銀鮭はいわし臭い味がする」なんていう評判が立った時もあったそうです。しかし、それぞれの漁師が試行錯誤を繰り返し、徐々に出荷量は増加していきました。

ところが平成2年、海外産の安い銀鮭の輸入拡大と国内養殖の生産過多により、相場が暴落。売っても売っても漁のコストが回収できない状態となりました。そんな時、付き合いのある漁師に

「私達と一緒にもっと消費者に喜んでもらえる銀鮭作りを行いませんか?」

と声をかけたのがニチモウでした。

ニチモウが管理する稚魚養殖業者から仕入れる、抗生物質や薬剤は投与しない、指定した飼料を与える・・・それらいくつかの約束事項をきっちり守って養殖すれば、相場に関わらず決まった価格でニチモウが全量買い取る。相場に頼っていては、品質の向上も養殖の継続も難しい。将来に渡って継続可能な銀鮭養殖を一緒に作り上げないか、という熱く真直ぐな誘い。声をかけられた漁師の一人、千葉さんは「ニチモウ銀鮭会」に参加することにしました。


そして時は経ち、三陸は再び逆境に立たされます。東日本大震災により養殖場は壊滅。幸い養殖漁師さんたちの命は助かりましたが、あの日、海はこれまで積み上げたもの、大切にしていたもの、その多くをさらっていきました。家も船も生簀(いけす)も・・・何もかも。

「もう辞めるべ。もう出来ねぇ。あん時は心底思ったな。」そんな千葉さんの凍えた気持ちを支えたのは、漁師とニチモウ社員の仲間達、家族でした。ニチモウから資材、資金の援助を受け、「ニチモウ銀鮭会」は前を向いて歩き始めました。
千葉さん:「ニチモウさんとこ以外の養殖漁師とも付き合いあってよ、こん間、うちの鮭、食わして見だんだ。そったらヨォ、『おめぇとこの銀鮭、なしてこんなに旨えんダァ』っていうわけさ。ええもん、食わしてやってんだから、うまいもんできて、あったりまえだろってさ。俺の自慢だぁ

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